No.138
佐藤泰将
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父と私とハーモニカ

私の父は保険会社の堅実なサラリーマン、母は小学校給食の栄養士でした。
私はといえば、子供の頃からロクに勉強もせず、音楽にばかり没頭していました。
両親は頭ごなしに反対こそしませんでしたが、流石に心配はしていたと思います。

なんとか音楽大学に行かせてくれましたが、両親は「いつかは現実的なことを考えてほしい」と願っていました。

大学4年の時、父から「ちゃんと就職しろよ」と一言だけ言われました。
しかし私は就職もせず、音楽家になりたい一心で、飲食店や建築現場など、音楽とは関係のないアルバイトを続けていました。
みなさんご存知の通り、そんなに都合よく稼げる世界ではありません。

元来、父も私も寡黙な性格です。
親に対して自分の叶うかわからない夢を語ることは、かえって親不孝に思えて、大学の演奏会やバンドのライブに父や母を呼んだことは一度もありませんでしたし、見に行きたいと言われた事もありませんでした。

音楽を続けること自体が親不孝だと思い込んでいたので、自分の活動を知らせることもなく、父と人生の話をすることもなくなりました。
父の方も、息子に対してどう声をかけて良いか分からなかったのだと思います。
母からは「さっさとまともな仕事に就きなさい」と呆れられ、子供の頃からきっちり勉強していた1歳下の弟は公務員になりました。

その後、ある作曲家のアシスタントとして楽器運搬や運転手、楽譜の整理などをこなすうちに、少しずつ音楽の仕事が増えていきました。
結婚して子供ができ、何となく人並みの生活ができるようになりました。

私が音楽で生計を立てていることを父は認識していましたが、顔を合わせても仕事のことを聞かれることはありませんでした。
自分からも仕事や音楽の話をすることはないまま・・・

10年ほど前、父は死にました。

最後まで不器用な、父らしい人生だったと思います。
私はそんな父に感謝しているし、誇らしいと思っています。

父の死後、しばらくして実家の遺品整理をしていた時のことです。
父が使っていたパソコンを開くと、ある場所に「泰将」という私の名のフォルダがありました。
開いてみると、私の音楽活動のデータやネット上の私の写真、音楽関連サイトに載った私の名前のスクリーンショットなどが多数保存されていました。
インターネットブラウザの検索履歴には「作曲家 佐藤泰将」という文字が並び、机の引き出しからは、私が関わったCDがたくさん出てきました。

さらに、本棚の奥からは桐の箱に入ったハーモニカが何本も出てきたのです。
父が楽器を演奏する姿など見たこともありませんし、音楽には全く無縁だと思っていました。
私が音楽の専門家であることを百も承知なのに、生前、吹き方や楽譜の読み方など、音楽的な話を聞かれたことは一度もありませんでした。

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私は勝手に「父は私が音楽をやることに反対で、そもそも音楽自体好きではないのだろう」と思い込んでいました。
しかし、それは違ったようです。
誰よりも私のことを気に掛け、応援し、私の心に近づこうとしていたのかもしれません。
自分の好きな音楽の道を選び、駆け抜けていく私のことを羨ましくさえ思っていたのだと思います。

「ハーモニカを始めたんだけど、教えてくれないか」と言おうとして、結局言い出せずじまいで死んでいったのだと思います。
本当に不器用な父です。

「なぜもっと早く父の気持ちを察してあげられなかったのだろう」と悔やまれますが、「孝行したい時分に親はなし」の言葉そのままとなってしまいました。
それでも、私は音楽家になって良かったと思っていますし、音楽家であることに感謝しています。

音楽で親孝行できなかった分、せめて自分の子供達には音楽家としての経験を活かしてやろうと思っていました。
しかし、成人した3人の子供たちは、誰一人として音楽の道を選びませんでした。
合掌


拙い文章ですが、最後までお読みいただきありがとうございました。


◎佐藤泰将(さとう やすまさ)
作曲家・編曲家
1968年生まれ 東京都府中市出身
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