No.135
吉田明彦
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生来、コツコツと「ものづくり」をするということが苦手だ。いや、苦手というよりは嫌いと言った方が良いかも知れない。幼い頃からプラモデルを完成させた記憶はないし、図画工作(旧い..)の授業では作品が仕上がったためしがない。向き合って「ものをつくる」という作業がただただ不得手なのだ。
かと言って、細かい作業が全く嫌いという訳ではない。気に入ったものの仕掛けにはすごく興味が湧く。その構造を知りたくて一生懸命分解し、仕組みを研究したくなる。
そこまではとても良いのだ。しかし、いざ組み立てる段になるとその方法が分からない。コツコツと丁寧にやれば良いものを、一気に元通りにしようとするからで、ショートカットした手順が必ずあると勝手に思い込んだ結果、大切なオモチャが一体どれほどの残骸と化したであろう...
昭和の少年としてご多分に漏れず、外で活発に遊び回るのが大好きだった。半強制的に通わされていた「ピアノのお稽古」をズル休みしては、友達と野球やら泥巡(これも旧い)に興じる毎日であったが、当時、比較的珍しかった色々な音響機器が身近にある環境だったせいか、音楽そのものは決して嫌いではなかった。中学生になったら運動部へ入ろうと固く決めていたにもかかわらず、真っ先に勧誘されたというだけの理由で吹奏楽部へ入部してしまったのには、そういう背景があったのかも知れない。
新しく始めた楽器はとにかく楽しかった。当時の吹奏楽部は今とは全く違い、完全に体育会系の流れを汲み、規律はもとより「お叱り」も相当に厳しかったが、むしろそれが自分には合っていたように思う。そしていつしか、将来は演奏家になることを夢見るようになるが、先生のレッスンは相変わらず苦手であった。コツコツと練習することが性に合わなかったのである。
演奏家として活動を始めた当初は、刺激的かつ新鮮な毎日ではあった。でも年月が経って慣れるにつれ、少しずつ億劫に思うようなことも起きた。プロである以上、自分でコツコツやらなければ置いていかれる、演奏家にとってはそれが自身の「ものづくり」であるはずなのに、どうしても馴染まない。あれほど楽しかった楽器を演奏することすら苦痛に思ったりした。
そんな中、いわゆるデジタルミュージックの到来に衝撃を受けることになる。それまで限られた人にしか手出しできなかった音楽が、技術の進歩によって、ある程度誰にでも扱えるようになった大きな出来事であった。もとより、ものの仕組みには興味があり、ましてやそれが音楽にかかわることとなれば、自分にとって興味の対象になるのは当然。それこそ寝る間も惜しんで色々なことを研究した。そして、表現できる音楽手段が増えたことによって、それまで不義理をしていた諸先生方の元へ、再び理論の教えを乞うため足繁く通うことになる。音楽家は「もの作り」が「もの創り」であるべきと知った、自分にとっての転換期。もしこのことがなければ現在はなかったかも、などと大層に思っている。
ふとしたきっかけで携わることになった教育現場での指導。職業変えをしたつもりは毛頭ないのだが、気づけば自身の音楽活動そのものと同じキャリアになってしまっている。当然だが現代の若者たちは、自分が音楽を始めた頃とは環境も演奏技術も比べものにならない。彼らの音楽にはジャンルもテクノロジーも一切関係なく、それらを音楽の一つの要素として捉えているだけに過ぎない。多方面で新進気鋭の音楽家として活躍する多くの教え子たちを嬉しく思うと同時に「一緒に競い合うことにならなくて本当に良かった(太刀打ちできない)」と安堵する反面、「さてさて、後は音楽について彼らに何を教えるべきであろうか、教えられるだろうか」などと考えながら、作りかけの、決して完成しないであろうプラモデルを今日も眺めている。


◎吉田明彦(よしだあきひこ)
大学入学を機に演奏家としてプロ活動を開始。後に作、編曲家としての活動も開始する。
ドラマ・アニメ・番組テーマ・CMなど、メディアを問わず数多くの作品を提供するほか、アーティストへの楽曲提供、コンサートの音楽監督、アイドルプロデュースなど、幅広く活動を展開している。
また、自身のキャラクターを生かし、音楽バラエティTV番組のレギュラー、FM番組のレギュラーMCを務めるほか、ゲストとしても多数の番組への出演経験を持つ。
近年は、公立学校の専任指導者として、全国大会をはじめとする様々なコンクール・コンテストにおいて数多くの優秀な成績を収め、現在、多方面で活躍する新進気鋭の若手演奏家を多数輩出するなど、後進の育成にも力を注いでいる。
専門誌での連載担当など、執筆活動も意欲的に行なっている。

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