平成17年JCAA JOURNAL第17号より

ベートーヴェン(この偉大なるド素人)

今日は極めて私事に終始するが、そこは一介の未熟者と戯言と御笑読下されば、有難き幸せ・・・。

さて、彼のベートーヴェンなる人物、まるでクラシック音楽の代名詞の如く言われてますが、私は今日まで彼の作品、弾いても聴いても一度も感動したり感銘を受けたりした事はないのです。名曲中の名曲と言われる運命の出だしは童謡の「蝶々」を短調で演奏してる風に聴こえるし、第九の「喜びの歌」のメロディも単に隣りの音にしか移動しない屈指の名旋律!と言うなら、リチャード・ロジャースの「サウンド・オブ・ミュージック」のTMの方が数段優れている。ピアノ・ソナタ「月光」に至ってはピーター・ネロが70年代に「ナイト・アンド・デイ」を引っ掛けて洒落たピアノを引いている。

まあ、それだけ俎上にのれば名曲の証しでもある訳だが、私が共感できないのは彼の作品が説教じみている点にある。殊に低音域での3度の音の重複が湿気過多に感じる。減七の和音を多用しすぎる。劇伴の推理、疑惑のオン・パレードである。他には困った時の3連頼み、詰む寸前のフェルマータ等。57年の人生の中で48回も引越しを繰り返した、作曲中のメロディ採譜に怯えた強迫観念症。テレーゼの為に書いた曲が悪筆の故に「エリーゼの為に」と後世に伝わった悲劇・・・。そうか、こう考えてくると可愛想な男だったのかも・・・。

耳の疾患も幼い頃、ピアノのレッスンを嫌がるベートーヴェンを父親が殴った事に起因する説もある。女性に持てなかったのも外見的理由が過半数とのエピソードも残っている。

彼に非は無かったのかも?ベートーヴェン様ご免なさい。今までは生意気にも、ずっと貴男様の作品を否定続けて来ました。これからは皇帝して演奏させて頂きます。
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