No.1322025.4.28

「何故お前は友達とじゃないと遊べないんだ?一人で遊べる事を考えろ」
幼い私に、決まって父はこう諫めた。
同級生たちが鬼ごっこなどをしてはしゃいでいるのを見るにつけ、
不思議な事を言う人だなと思っていたが、
絶対王政の我が家では、それに従うしか術がなかった。
今にして思えば、一人っ子の私に「創意工夫」の礎を教えたかったんだと理解できるが、まだ小猿程度の知能しかない小僧は、日々懊悩する中、次第に「ひとり遊び」を編み出し始めた。
工作用紙で高層ビルのジオラマを作ったり、トレース紙でアイドルの顔をなぞって描いてみたり、ラジオから録音した楽曲を間に挟んで、己がパーソナリティよろしくDJ気取りで似非ラジオ番組みたいなものを作っては深夜にそれを聞きながら独りにんまりしたり。
だいぶヤベェやつが仕上がってきました。
が、
そんな「ひとり遊び」という名の独りよがりが、廻り廻ってたどり着いたのが作曲だった。10歳の時である。
中学2年の時に母がパソコンを買ってくれてからというもの、件の小猿は、
いにしえ人類が火を使って暖を取り始めた変革の時の如く、
帰宅すると真っ先にPCにかじりついて曲を作るようになった。
我が家の王はこの様を見て「曲なんか作ってないで勉強しろ!」
と怒鳴っていたが、小猿は
(ひとり遊びしろってキレてたのそっちですやん)
と、どこ吹く風。
こうしてだいぶヤベェ小猿は、1985年当時としてはかなり早熟なDTMerへと堕ちていく。
しかしこの小猿、当代きっての飽き性なのだった。
世は空前のバンドブームの夜明け、高校でドラムを始めたが才能がないとさっさと見切りを付け、大学に入ってからはジャズ研でピアノとベースを独学で始める。
かと思えば、ここで打ち込み機能がついたシンセを購入し再びDTMerへと出戻り。あれやこれやとむら食いし、ありがたいことに23歳の時に作曲家デビューするに至る。
さて、檻から野に放たれ小猿は野猿となり、ここから様々な人間たちからの叱咤激励を受ける。振り返れば、立派な猿回しの猿になるための修業期間だった。
霞を食うだけで生きていけたらどんなに楽であろうと悶々とする中、友人が勤めるとある会社の社歌を作った。
これが一部の人に受けたようで、32歳の時に「日本ブレイク工業社歌」にて歌手デビューを果たすこととなる。
元歌手であった母は大層喜ぶかと思いきや「人前で歌うってのは、覚悟がないやつがやるもんじゃないよ。やるなら腹くくってしっかりやんなさい。」と厳しくも優しい言葉をくれた。これを機に覚悟を決め、後にアニメの主題歌を書いて歌わせてもらったりうことにも繋がった。
そして40歳になるころ、遅まきながら劇伴の仕事もさせてもらうようになる。それに伴い、正当な音楽教育を受けていないツケがここで野猿に襲い掛かってくる。
古典(クラシック)の習得だ。
これを独学でやるのは至難の業であるのは承知しているが、もとより「ひとり遊び」から始めたもの。遊びの精神を忘れず、生涯が潰えるときまでこれを研いでいく所存だ。
かくしゃくとした老猿になるために。
かくして去年で作家活動30周年を迎えました。奇跡としか言いようがありません。
正当な音楽教育を受けていない野良の小猿が老猿に至るまで、こうして「ひとり遊び」を続けてこられたのは、ひとえに応援してくれた皆さん、スタッフのお陰です。
そして最後に。
「創意工夫」の精神をしつけてくれた父さん、
曲を作るきっかけを与え、そして歌の心を教えてくれた母さん、
ありがとね。
◎manzo 坂下正俊(まんぞう/さかしたまさとし) Profile
1971年東京生まれ。1994年、23歳の時に内田有紀へ楽曲提供し作家デビュー。
2003年「日本ブレイク工業社歌」で注目され、以降はmanzoとしての活動が増える。
近年は『秘密結社鷹の爪』シリーズの映画音楽、『刀剣乱舞』『弱虫ペダル』『東京リベンジャーズ』などの舞台音楽、アニメ劇伴なども制作し、活動の場を広げている。
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manzo(坂下正俊)

「何故お前は友達とじゃないと遊べないんだ?一人で遊べる事を考えろ」
幼い私に、決まって父はこう諫めた。
同級生たちが鬼ごっこなどをしてはしゃいでいるのを見るにつけ、
不思議な事を言う人だなと思っていたが、
絶対王政の我が家では、それに従うしか術がなかった。
今にして思えば、一人っ子の私に「創意工夫」の礎を教えたかったんだと理解できるが、まだ小猿程度の知能しかない小僧は、日々懊悩する中、次第に「ひとり遊び」を編み出し始めた。
工作用紙で高層ビルのジオラマを作ったり、トレース紙でアイドルの顔をなぞって描いてみたり、ラジオから録音した楽曲を間に挟んで、己がパーソナリティよろしくDJ気取りで似非ラジオ番組みたいなものを作っては深夜にそれを聞きながら独りにんまりしたり。
だいぶヤベェやつが仕上がってきました。
が、
そんな「ひとり遊び」という名の独りよがりが、廻り廻ってたどり着いたのが作曲だった。10歳の時である。
中学2年の時に母がパソコンを買ってくれてからというもの、件の小猿は、
いにしえ人類が火を使って暖を取り始めた変革の時の如く、
帰宅すると真っ先にPCにかじりついて曲を作るようになった。
我が家の王はこの様を見て「曲なんか作ってないで勉強しろ!」
と怒鳴っていたが、小猿は
(ひとり遊びしろってキレてたのそっちですやん)
と、どこ吹く風。
こうしてだいぶヤベェ小猿は、1985年当時としてはかなり早熟なDTMerへと堕ちていく。
しかしこの小猿、当代きっての飽き性なのだった。
世は空前のバンドブームの夜明け、高校でドラムを始めたが才能がないとさっさと見切りを付け、大学に入ってからはジャズ研でピアノとベースを独学で始める。
かと思えば、ここで打ち込み機能がついたシンセを購入し再びDTMerへと出戻り。あれやこれやとむら食いし、ありがたいことに23歳の時に作曲家デビューするに至る。
さて、檻から野に放たれ小猿は野猿となり、ここから様々な人間たちからの叱咤激励を受ける。振り返れば、立派な猿回しの猿になるための修業期間だった。
霞を食うだけで生きていけたらどんなに楽であろうと悶々とする中、友人が勤めるとある会社の社歌を作った。
これが一部の人に受けたようで、32歳の時に「日本ブレイク工業社歌」にて歌手デビューを果たすこととなる。
元歌手であった母は大層喜ぶかと思いきや「人前で歌うってのは、覚悟がないやつがやるもんじゃないよ。やるなら腹くくってしっかりやんなさい。」と厳しくも優しい言葉をくれた。これを機に覚悟を決め、後にアニメの主題歌を書いて歌わせてもらったりうことにも繋がった。
そして40歳になるころ、遅まきながら劇伴の仕事もさせてもらうようになる。それに伴い、正当な音楽教育を受けていないツケがここで野猿に襲い掛かってくる。
古典(クラシック)の習得だ。
これを独学でやるのは至難の業であるのは承知しているが、もとより「ひとり遊び」から始めたもの。遊びの精神を忘れず、生涯が潰えるときまでこれを研いでいく所存だ。
かくしゃくとした老猿になるために。
かくして去年で作家活動30周年を迎えました。奇跡としか言いようがありません。
正当な音楽教育を受けていない野良の小猿が老猿に至るまで、こうして「ひとり遊び」を続けてこられたのは、ひとえに応援してくれた皆さん、スタッフのお陰です。
そして最後に。
「創意工夫」の精神をしつけてくれた父さん、
曲を作るきっかけを与え、そして歌の心を教えてくれた母さん、
ありがとね。
◎manzo 坂下正俊(まんぞう/さかしたまさとし) Profile
1971年東京生まれ。1994年、23歳の時に内田有紀へ楽曲提供し作家デビュー。
2003年「日本ブレイク工業社歌」で注目され、以降はmanzoとしての活動が増える。
近年は『秘密結社鷹の爪』シリーズの映画音楽、『刀剣乱舞』『弱虫ペダル』『東京リベンジャーズ』などの舞台音楽、アニメ劇伴なども制作し、活動の場を広げている。