NO.40-2
杉浦 篤
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『We live with nature〜川の流れのように奏でる鼓動〜』第2章
〜春雨の降り続ける山〜

上京して、いきなりのスカウトから待ち受けていたものは
ピアノやエレクトーンという独特の世界と歌う世界とのギャップでした。
そこから脱け出せずにもがいていました。
その間にもとにかく芸能界へ入りたいと
数々のコンテストを受けながらも時間は過ぎていきました。

音楽とは別に、俳優の養成所へ通ってみたり
モデルタレント事務所に入ってみたり
声はかかるけれど、女性ボーカルとのデュオでのデビューなど
あらゆる形式でのアプローチをし模索しながらも
曲作りの盲点から抜け出そうとしていました。

それが本当は曲作りからの
『逃避』

オーディションを受けて必ず言われていた言葉
『顔色が悪いね・・・』

そういうビジュアル面でもかなりコンプレックスの塊で
20歳からフィットネスクラブでバイトをしながら水泳を始めたり
健康美と自分自身を追い詰めるという元々のストイックさがプラスされ
ひたすらトレーニング体作りや本を読んだり人と会ったり
ひたすら何かを求めていくかのように行動派人間に。

自分自身と向き合う意味でも、
人とのお付き合いや恋や心と♪と向き合う良いきっかけにもなりました。

突然、ある日のこと実家から僕に連絡があり
ジャズ喫茶『ベイシー』を経営している叔父さんの親戚を紹介するからと
連絡があり、ジャズ喫茶『ベイシー』の菅原氏に出逢い
初めての岩手県という街へ行き、
超アナログでレコードなのに生演奏のごとく聴こえる
スピーカーからベイシーと名のついたピアノなど
こだわりが隅から隅まで愛が注ぎ込まれた空間にいる
菅原氏からの激励のお言葉を頂き
『必ず世の中へ行けるぞ!』と
ベイシーをこよなく愛する音楽を愛する方からのお言葉を胸に
帰京しました。

しかし、普段の僕は、周りの人からは心の中を悟られたくないという程、
心はいつも雨降りで、子供の頃から内向的でお人よしな僕は、
人へ自分の気持ちを伝えることが、かなり苦手で
その気持ちを音楽に向けるようになっていたことを
今になって、自分の一つの表現方法だったんだとも感じています。
ある日バイト先のフィットネスクラブでの出来事。
いつも利用している会員さんでもあり、YAMAHAポプコーンという
中島みゆきさん、CHAGE&ASKAさんなど数々のアーティストが
登場したコンテストから飛び出した大先輩である『福島邦子さん』から
フロントにいる僕に声をかけてきたのでした。
『音楽をやっているってお友達から聞いたんだけれど、
わたしのライブでピアノを弾いてくれないかしら?』

『え!?』
『僕でいいんですか?』

『杉浦くんらしく弾いてもらえれたらうれしいわ』

そこから僕の新たな世界が開くとは、予想もつかないことでした。
待っていたのは、今は幻の渋谷公園通りにあった
『渋谷ジャンジャン』という芸術空間でした。
中へ入ればとても手にしっくりくるグランドピアノに
コンパクトな舞台にY型に分かれた客席。

ここで僕の乗り越えたかった山を登るきっかけになり
歌う人とアンサンブルするピアノの弾き方や
タメ、歌心から来る躍動感というリズムを教えてもらいました。
(今でも、その時の譜面やフライヤーや写真は宝物です。)
二年間に5回もステージをご一緒させてもらい
それが僕にとってのシンガーソングライターとしてのチャレンジとなる
素晴らしききっかけになりどんな岩があろうとも書き始めるようになりました。

その直後、ソニーのSD新人開発部にて
シンガーソングライターの育成を受け、プレゼンテーションライブに出場し
スカウトを受けることに。
しかしながら、ここで当時の僕には見えない空白という結果が来て
そこから半年後に、先輩からEPIC SONYのプロデューサーを紹介され
自ら、プレゼンテーションをしてアプローチをかけて
『哀しい曲を作って採用するか決めます』と哀しい曲を提出し
EPIC SONY内で曲作りを始める26歳の夏の終わりでした。
EPIC SONYで待ち構えていたのは、シンガーソングライターとしてではなく
作曲家という立場での曲作りをしてくださいというオーダーでした。
しかも、スティビーワンダーなどソウル好きな僕に
HIP HOP SOUL(今で言うR&B)というジャンルに取り組み
さらに産みの苦しみに出逢い今までの僕の潜在意識を引き出してくれる
今となっては僕のやりたかったことに出逢えたチャンスでもありました。

女性アーティスト2人と一年間にそれぞれに
どれくらいの楽曲を作ったかもわからないくらい作り
あの幻の市ヶ谷にあったソニースタジオから
アーティストの自宅での曲作りなど
今では新人作家という中で味わえない貴重な経験を経験をすることになりました。

一年後、残念なことにリリースが突如2人とも無くなり
さらにシンガーソングライターとして作曲家としての
二つの道を歩き始め
決まりそうで決まらないという
歌うこと、曲を作ること、詞を書くこと、演奏すること、伝えること
心の涙を流すこと
そこから笑顔になっていくメロディをと
R&BというジャンルからROCKなどジャンルを越えて
心から生まれるメロディを生み始めることになりました。

これをきっかけにあらゆるレコード会社に
直接アポをとり売込みをするようになり
様々な人たちとの出逢いが増えていき
熱き心に火がつき
暑い季節を迎え

心の中は渦巻き、時に嵐が来て
雨が降り
晴れたらと思いきや
曇って雪が降ったり
そんな季節を
『東京』という街で感じるようになり
『君の使命なんだよ』
という言葉を下さった
僕の心の支えと人へ伝えていくメロディに出会う季節がやってきました。

*この時期に出来た曲で、とても気に入っている曲が
5年後、2002年の秋に
乙葉さんへ提供した『心のカメラ』の誕生となりました。

・第一章 〜プロローグ−生い立ち〜
・『登り続けていく山頂まで〜蒼い海へ流れていく大空へ』第三章
・『We live with nature〜川の流れのように奏でる鼓動〜』Daily space that presents people message


◎杉浦 篤(すぎうらあつし)) Profile
・1970年7月1日生まれ 愛知県名古屋市出身

・3歳の頃からピアノやエレクトーンなどに慣れ親しむ。アーティストになることを決め高校卒業とともに上京。

・YAMAHAポプコーン出身アーティスト福島邦子さんの幻の場所、渋谷ジャンジャンライブでピアノを2年ほど担当。

・1994年〜ソニーSD新人開発にてシンガーソングライターとして育成を受け1996年8月〜EPICソニーの目黒セクションのプロデューサーにつき、1年ほど作曲家として関わり、作曲家へと転身。(小柳ゆきさん、乙葉さんなど提供)

・インターネットラジオ・CSラジオにてパーソナリティを担当。

・ソニーSD新人開発部のプレゼンテーションオーディションへの提供から1999年1月〜 CF雑誌『ノンノ』ボーカリストとして、時には女性アーティストとのデュエットとしての参加など経て、アーティストへの楽曲提供をしながら、カフェバー形式のスペースでのアコースティックライブを開催。

リスナーとの心の距離間を大切にしたコミュニケーションカフェライブを現在も継続中。

・ショートムービーでの映像音楽提供、一昨年からブログにて、ポエム、コラムなどを掲載し続け、日本芸能音楽とのコラボレーションから空間プロデュース、楽曲提供からアーティストプロデュースなど、言葉や映像と音楽(演奏)、そして歌うこと 。

そしてハートフルなコミュニケーションスペースを基に心機一転、アーティスト活動を始動、フル回転していきます♪

<近況>
・2005年11月〜ワールドワイドユニット『THEWHALEHEADS』(ウェールヘッズ)メンバーとして参加。ピアノ(ピアニカ&打楽器&コスプレ!?)担当。
青山カフェマディを中心に定期的にカフェライブを展開中。(2006年1月12日より再始動〜)

・空間プロデュース、食と音楽など衣食住の中にある生演奏による寛ぎライブをコーディネート。(2004年1月〜現在に至る)

・各クリエーターとのコラボレーションによるラウンジイベントを展開中。

・楽曲提供(作詞曲)と共に現在、アーティストプロデュース。

・写真を撮ることが好きで、それを基に言葉を書き連ねるブログを掲載中。

・日本芸能音楽とのコラボレーション(春、桜舞う頃に)

・そして歌うことを再開予定 など。。。


※掲載は所属当時

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