NO.15 2002.7.2

光宗信吉

mitumune.jpgmitumune.jpg

「光宗信吉」と書いて「みつむねしんきち」と読む。勿論?本名である。幼少の頃から間違われたこと幾度となく。「のぶよし」ならまだしも「のぶきち」なんて言う人がいて、がくっと肩を落とすことしきり。まぁこの名前、子供の頃は自分に「いや、いい名前なんだ。好きだなー。」と言い聞かせてきたような気がする。(ということは、自分では好きではなかった?)でも、「名は体を表す」という言葉の通り、この名前が人格形成に大きな影響を与えてきたような気がする。なんとなく古くさく見えるもの、聞こえるものが好き。最先端のものが好きであっても、露骨にそのあたりを見破られたくない。また、マジメにシリアスに二枚目を演じるつもりが、つい2.5枚目〜三枚目を演じてしまう。
  というわけで、なんとなく芸名をつける間もなく、本名でいいや、と本名で通すことになった。
  アニメの仕事を沢山やらせてもらっている。だからという訳でもないのだが、最近、秋葉原に出没していることが多いような気がする。(ほにゃらら…を見に行くのが趣味。)実はおしゃれな場所が苦手。青山や代官山はもってのほか、○×は駅に着いて3分で逃げ出したくなるし、△□なんかは人が多すぎてすぐさま窒息しそうになる。でもなぜか、はっきり言ってあか抜けない秋葉原に歩いている若者?達(ハバラー?)、その子達にシンパシーを感じてしまうのは、自分が子供の頃から「信吉」という名前だったからだろうか?(こじつけくさいが。)
  音楽をなぜ職業にしたのか?未だによくわからない。一つだけ言えることは、選択肢としてはいろいろあったとしても、結果的にはその道しか考えることができなかったということだ。学生時代に作った曲をたまたまライブで演奏したら、なぜか拍手大喝采だった。そのことがきっかけだったような気がする。それがなかったら、今頃は違う道を歩んでいたかもしれない。
  それなりに続けていると、色々なことがわかってくる。一つは「自分は無知なのだ。」ということだ。世の中にはなぜ自分の知らないことがこんなに沢山あるのだ?ということを想像して愕然とすることもある。それと同時に「人生は有限だ。」ということも…。つまり全てのやりたいことをやるだけの時間は残されていないということ。とすると? 逆説的に、今、その時を注意深く、そして精一杯楽しむこと。それしかないのでは?と思うようになってくる。勢い「いろいろな音楽を聴いて勉強しなければ…。」という意識がだんだん薄れて来てしまって、ついつい気分で一週間同じCDを毎日かけていたりする。「こんなんでいいのだろうか?」と、疑う自分と同時に「いや、こんなんでいいんだ。」と確信する自分がいる。
  つい「プロだからなんでもできて当たり前。さらに天才的なヒラメキが!」なんて職業意識に踏みつぶされそうになるが、もうそんなこと考えるのよそう、と、力を抜いてしまう自分が最近よくいる。
  できれば老いていくまで、他のどんな肩書きよりも「作曲家」でいたい、というのが今のささやかな夢である。


◎光宗信吉(みつむねしんきち) Profile
1963年10月8日生。福岡県出身。立教大学経済学部卒。4歳よりヤマハ音楽教室に通い音感トレーニングや作曲の勉強を、10歳よりエレクトーンを始める。大学卒業後、キーボーディストとしてマリーンのサポートをつとめ、各地のジャズ・フェスティバル等に出演する。その後も、西村由紀江など数々のアーティストのサポートをつとめる。1995年からは、フル・オーケストラによる作曲/編曲も手掛け、数々のアニメーションや映画のサウンドトラックを制作、また、林原めぐみなどへの楽曲提供をおこなう。また、1999年に手がけた劇場用アニメーション「少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録」ではフィルム・スコアリングの手法を駆使し、画面と完全にシンクロさせた音作りが話題となる。

【主な作品】

TVアニメーション「ナースエンジェルりりかSOS」、「少女革命ウテナ」、「アキハバラ電脳組」、「遊戯王デュエルモンスターズ」、「Powerpuff Girls(Opening Theme)」、「ちっちゃな雪使いシュガー」、「ドラゴンドライブ」
劇場用アニメーション「少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録」、「アキハバラ電脳組 〜2011年の夏休み〜」 OVA 「フリクリ」、「ラブひなAgain」 映画「ラブ&ポップ」(原作:村上龍、監督:庵野秀明)


■ページのTOPへ
■今月の作家トップページへ