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2008/10/29 UP!
今月の作家♪
奥 慶一さん No4

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日本作編曲家協会 会長 服部克久
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1969年夏、合歓の郷のポピュラーフィスティバルの前夜祭で酒を飲みながら、 大いに盛り上がった若き作編曲家たち。日頃のうっぷんをぶちまけあっているうちに、自分たちの問題は自分たちで解決するしか無いということで、とりあえず親睦会がスタートした。 当時日本テレビの音楽部長をやめられて、音楽評論の仕事に戻られたばかりの、藤井肇先生を会長にお願いして日本アレンジャー協会が創立されたのが次の年の1970年。当時の記録を見ると、入会金1万円で会費が月額3,000円となっている。NHKの編曲料が一曲平均3,000円位だったことを考えると、かなり高額の会費であった。
全員めちゃくちゃ忙しい現役バリバリのメンバーでありながら、NHKに編曲料の値上げの交渉に行ったり、スタジオでの指揮料の制度化を進めたり活発な運動を行う。 会員も大分増えた昭和50年には日本航空と「空の音楽祭」を3年にわたって共催、「アレジャーコンサート」も5年間実施するなど、それらを通じて編曲および編曲家の役割を世の中にアピールし、著作隣接権の啓蒙運動を展開してきた。
加えて、編曲家の抱える諸問題の解決など、それなりの役割を果たしてきた日本アレンジャー協会も、時代の移り変わりと共に、会員の音楽的な幅も広がり、シンセサイザーの打ち込みなど、編曲と言うものの概念も変わり、サウンドを中心とした立体的な音楽を書く作業のなかで、どこまでが作曲でどこまでが編曲かという境界線がはっきりしなくなって来た音楽状況を受け止めざるを得なくなってきた。
そうした時代の流れと要求のなかで、当会が平成5年11月に日本作編曲家協会という名前で新しく生まれ変わったのも、ごく自然な成り行きであったと言える。
その後会員も順調に増え、ニューミュージックの作家も多数参加、ポピュラー音楽界の第一線で活躍している作編曲家の会に成長して行った。現在の会員数は172名を数える。
前進の日本アレンジャー協会より引き継いで来た、編曲や実演家としての諸権利の問題解決を図って行くと共に、当会から評議員や理事を送り込んでいる、日本著作権協会と芸団協における積極的な活動を、友好各団体と協力関係を保ちつつ行っている。
又、会員の権利擁護、相互の親睦を図るだけで無く、平成9年から実施しているアレンジャーズサミットなどを通じて、一般の音楽ファンの為に上質の音楽を提供し、年10回の地方における音楽クリニックの実施により、青少年の音楽教育にも多大な貢献をしている。
以上の目的をより効果的に行うべく、現在法人化に向け着々と準備している最中である。
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