NO.94 2017.7.26
                                  

   北爪道夫 Michio Kitazume 

 

中学入学前後から、クラリネット奏者であった父が所属するオーケストラ(東京交響楽団)を聴きに行っていた。TBSの作曲コンクールというのがあり、そこで、子供なりに「新作でも面白いのとそれ程でもないのがある〜」と思ったものだ。そのうちにスコアを読む(眺めるだけ)ようになり、自分も書くぞ!という気になったわけだが、1964年の或る日、父が帰って来て台所の母に「おい、東響サン潰れちゃったよ!」と言ったのには驚いた。TBSの後ろ盾が外され経営破綻したのだ。すぐに、有志の方々の努力で再建され新東京交響楽団の名で活動を再開、現在の東京交響楽団に発展している。

66年からの大学では6年間、矢代秋雄先生のクラスで過ごした。レッスンは毎回、憂鬱。何しろ音符を「ひとつだけ変更した」のを看て頂いたり、ひどい時は「殆ど削除」して持っていったり、そんな時の先生のお言葉「鯛の目の下の肉とか、ヒラメのエンガワとか美味しい素材で書くのね」「新しい音楽は書法をイチから考えなきゃならないからタイヘンね」にはリアリティーがあり、妙に納得。しかし最後の一言「とにかく間に合わせようね!」これには参った。未だに締め切り間際の修羅場問題は解決できていない!矢代先生は、私が卒業後はじめてオーケストラ曲を書き上げ、久しぶりにお訪ねする、まさにその直前に急逝された。古典の交響曲のピアノリダクションを先生と連弾しながら「ここは?」「オーボエだと・・」「当たり!」なんてやっていたのは、もう50年近く前のことなのか・・。

70年代半ばからは池辺晋一郎さんのアシスタントを相当やらせて頂き、大河ドラマも2本は私の指揮で音楽収録した。武満徹さんの、映画音楽のアシスタントや《マージナリア−マリンバとオーケストラのための−》のスコア・パートの校正など、お2人の仕事のお手伝いは目から鱗の連続だった。失敗もあった。池辺さんのバレー音楽でオケピットに入り本番も最高潮、その時!あの頃まだ初期の某シンセが突然死んでしまい、リボンのグリッサンドが発音しない!特徴的な響きを当てにしていたオケの皆様が一斉にこちらを向いたのは言うまでもない。電源をオフにして数分後に復活(前科?犯の経験から)したが、照明さんと池辺さんにはひれ伏してお詫び、今でも思い出すとドキドキ。そんな中、〈アンサンブル・ヴァンドリアン〉を数人の作曲家と数人の凄腕の演奏家で立ち上げ、内外の現代作品に絞り年2回ペースで10年間に渉り公演。同時期にNHKの少年ドラマ、様々な教育番組、ドキュメントやテーマ音楽、ラジオドラマ(FMシアター系は楽しく40本ほど)、英語教材、記録映画、演劇、朗読の音楽など書かせて頂くようになり・・大学は京都市芸、愛知県芸、国立音大と勤めたが、オーケストラの授業に侵入(もちろん公認)し、R.シュトラウス等のヴィオラとチェロのパートを入れ替えたパート譜を用意して強引に試奏を頼んだり、かなり無謀な教員。また、上手な某社会人オケと22年間20世紀以降のみのプログラム(珍品?はルトスワフスキ、リゲティ,カーゲル、ヒナステラなど)で公演するなど、今振り返ると、どれをとっても1人では出来ない事ばかり。如何に多くの方々に支えられて来たことか!

JCAAに入れて頂いて本当に感謝、楽しい。それは、会員の方々皆それぞれに音楽の現場を持っており、その面白さや苦しさを体験されているからだろう。

私は自分の音楽を、広くあらゆる音楽のある環境に置いてみたいと思う。今、何事によらず長期的な哲学を持続させることが難しい世界だからこそ、JCAA頑張って!

写真は、久しぶりに玄関先のパセリで育ったキアゲハの孵化〜羽化を見届けたので・・。

◆ Michio Kitazume's Profile ◆

 

                                      

 

                                                         

 

                      

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