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中西長谷雄

ロサンゼルス留学記(その3)


こちらに来る前は、いったいUSCで自分の音楽が通用するか心配していましたが、通 用してしまいました。これはたとえ自慢たらしい、いやな奴だと思われても強調した い。けっこう評判は良かったです。

今年の生徒は21人です。その内、外国人7人。内訳はヨーロッパ4、カナダ1、日本 1、韓国1、アメリカ14。年令はかなりばらつきがありますが平均で27〜8才ぐらい です。みんな学部の外に出るとやはり大人っぽく見えます。授業が始まって初めの作 曲課題が出るまでの間はお互いの実力が全く分かりません。アメリカ人はこんなに大 勢の外国人と一緒になったのは初めてのようで多少戸惑っています。みんな自分の国 や州では優秀だった人ですから自信もあるようです。しかし、学問音楽コースと違っ て問われるのは純粋な作曲能力ですから作ってみなければ誰がうまいのか分かりませ ん。

生徒の中には知識がとても豊富で、授業中得意の分野の話になると講師より良くしゃ べる生徒もいました。どうも彼は自分は天才だと信じているようです。なるほど、こ れか。自分の知識をひけらかしたり自信を持って良くしゃべるのはアメリカでは「美 徳」なんだから見習わなくてはならない。僕はまだ英語が下手だから、あまり発言で きないけれど早くうまくなって彼みたいにもっと自分をアピールしなければならな い、と思っていたのですが、彼は間もなく自慢が過ぎて皆から嫌われてしまいまし た。あぶない。見習っていたら私も嫌われるところでした。これだから外国生活は難 しい。彼は間もなくパソコンやシンセが全く使えないという決定的弱点が発覚し大分 静かになって皆から暖かく迎えられました。ロサンゼルスでは譜面はコンピューター で書くのが標準ですからオーケストラ音楽を作る場合にもパソコンは必須なのです。

USC映画音楽プログラムの中心はパラマウントスタジオでの実習です。あのパラマウ ント映画社の本物のスタジオでスタジオミュージシャンを集めて自分の曲を録音する のです。監修は講師が交代であたります。初めの担当者はハリウッド伝説の作曲家、 デビッド・ラキシンでした。伝説と呼ばれるのはバーナード・ハーマンらと並んでハ リウッドの黄金期を築いた人だからです。この人の授業の時だけは普段の教室を離 れ、大学付属の大きな映画館を借り切って行われます。大学側の気の使い方が分かり ます。1936年ラキシン24歳の時チャーリー・チャップリンから呼ばれ「モダンタイム ス」の仕事を初めて以来の超ベテランです。しかし少々ベテラン過ぎて生徒の名前が 覚えられず、それほど授業の評判は良くありませんでした。

ハーマンとラキシンは友人同士ですが、ハーマンは酔った時に「ラキシンは映画の事 が全く分かっていないのに大学で何を教えているんだ」と言っていたそうです。一介 の留学生の私ごときが言いますが、確かにラキシンの若いころのスコアを見ると天才 的です。しかし映画音楽としては出過ぎている場合が多い。私が辛口にこう書くのは ずーっと間違えて「ディック」と呼ばれ続けていた生徒、ジェイソンだからではあり ません。彼の出した課題の無声映画時代のチャップリンのフィルムに独自の解釈をし て、バディ・ベイカーなど他の講師から絶賛されたのにラキシンから「不適当」と言 われたことをまだ根に持っているからです。これはとても恐れ多くて英語では言えま せんが心の中と日本語なら書けます。あなたが「適当」とした音楽は今はもう流行っ ていません。

このパラマウント・セッションシリーズが始まって1〜2ヵ月、監修の講師が数人代 わり徐々に自分は「イケてる」なということが分かってきました。この判断はけっこ う難しいのです。生徒全員に励ます意味で「良かった」と言いますから自分が良かっ たと言われても素直には信じられません。

私は一応プロでしたから、今までずっとお金をもらって作曲していました。払った人 は何かあれば注文をつけて少しでも良い製品を手に入れようとします。人間だれしも 自分が支払った分だけ、できればそれ以上の物を手に入れたい。これは確かに理解で きるのですが作っている方はつらい。できることなら「ちょいちょい」と仕上げ、大 いにおだてられて、たくさんお金をいただきたい。ピカソみたいに。ですからいくら 一流のスタジオで録音して一流のスタッフに「良かった、すばらしい」と言われても 「それはお金を払っていないからそんなに気軽に言えるんでしょう」と思い、素直に 喜べないのです。気が付いてみれば「大いにおだてられ」ただけでは満足しない、 「たくさんお金をいただきたい」というプロの卑しさもしっかりと身に付いていまし た。(つづく)

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