NO.16
関谷雅子
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「皆さん、こんにちは。作編曲家&キーボードプレイヤーの関谷雅子(本名)です。私が、学生時代(慶応義塾大学)に日本で初めての女性ロックグループ「ブローイン・フリー」で業界デビューしてから、かれこれ20年以上、経ちました。(年齢がバレル。 ご想像にお任せします。)思えばあの頃は、シンセサイザーが単音しか出ない、シーケンサーも、4音ぐらいしか打ち込めないものが標準だったように思います。その後、和音の出るシンセ、サンプラーの登場と共に、音楽シーンが画期的に変化しました。打ち込み録音が増え、スタジオの録音仕事も、シンセサイザー無しには、考えられない状態になりました。私は、ちょうど、時代の波に乗り、シンセサイザーのスタジオミュージシャンとして、スタジオに楽器を担いで行って、打ち込んだり、演奏したり、女性では、初めてだったようです。(自分としては、ピアニストとして食べて行きたかったにもかかわらず、運命とは、皮肉なものです。思いもよらない方に人生は変わっていきます。)作曲家になろうと思って、デモテープに仮歌を録音したら、歌が採用になり、ついに、テレビの開けポンキッキの番組挿入歌を歌ったり、その後、童謡のレコードや、サンリオのけろっぴの歌声を吹き込んだりしたこともありました。
編曲も、MTRを買い込んで、必要に迫られて始めたという感じです。でも、何でもチャレンジするのは、楽しいし、良いことだと思います。自分が何屋さんか暫く、わからない感じでしたが。
バブルがはじけてから、また、日本の音楽業界が変わったようです。生の録音は、ますます減り、シンセサイザーの打ち込みものが、レコード会社のほとんどの売り上げを占めるようになったようです。ここ10年間の日本のテクノロジーの進歩は、すさまじく、音楽にも影響を及ぼしてきました。新人類の若者たちは、打ち込み音楽を聞いて育っているので、リズム感が異常に良い。日本語がヒップホップのビートに乗るなど、20年前の常識では、考えられなかったことです。あの頃、サザンの桑田さんが、「勝手にシンドバット」で、わけのわからない日本語を歌詞に乗せたと有名でしたが、日本語は、絶対に、ラップに乗らないという通説でした。(もちろん、女の作曲家なんて!女のアレンジャーなんて!女のスタジオミュージシャンなんて!というのが常で、いつも、20代の頃、スタジオで私は、変な目で見られていたような、、、いや、気のせいかもしれないが、、)そんな時代でした。しかし、私自身、女のミキサー、エンジニアーが出没し始めたとき、かなり、変な目で、彼女を見ていたかもしれません。今では、どこのスタジオでも、気の強そうな女性エンジニアーが、アシスタントの若い男の子を尻に敷いているような光景は、普通です。
今後ますます、時代は、変化していくことと思いますが、私も、中年になっても、老年になっても、若い頃の感性を失わずに、音楽を楽しんでいこうと思います。今の若者たちに、メッセージとしては、機械が発達しても、自分たちのオリジナリティーを出すアレンジをぜひ心がけて下さい。日本のアレンジは、今一番進んでいると思います。


◎関谷雅子(せきやまさこ) Profile
20世紀終わり頃、東京生まれ。(今年1月に撮った写真〔上〕から、年齢を当てて下さい。絶対、当たりません。)
慶応義塾大学文学部卒業。4歳よりピアノを習い、14歳で子供音楽コンクールで東日本一を獲る。大学時代に、日本で初めての女性ロックグループ、「ブローイン・フリー」でビクターからデビュー。翌年、コロンビアに移籍し、グループ「レベル」でデビュー。東京音楽祭や、サンレモ音楽祭国内大会など出演。(モチ、事務所の力ヨ 。)当時、バンドが売れない時代で、すぐ解散。フリーになってからは、宇崎龍童さんや、数々の有名人のバックバンドを経て、スタジオプレイヤー、作編曲家として、TV番組音楽、CM、アーティストへの曲など数々手がける。最近は、打ち込みで自分で全部、音源まで作ってしまう仕事が多い。今、やっている仕事は何かって??(それは、ナイショヨ)では、みなさん、さようなら!


※掲載は所属当時

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